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おばちゃんのマンガレビュー 

おばちゃんがライフハックや日常を書きます

ぼくらのへんたい 辛口レビュー

マンガ紹介

様々な形のセクシャルマイノリティーを描く、ということで気になって6巻まで読んだけど、やっぱ好きになれない。作者はちゃんと取材したのかな?いったい何を伝えたくて書いたのかな?

ざっくりとしたあらすじ

中学生男子三人が、それぞれの理由で女装する話。

パロウ・・・幼少期の出来事や諸々で女装して男とセックスしたりする

ユイ・・・亡くなった姉の身代わりで女装

まりか・・・もともと女性になりたい。むしろ普段が男装。

という感じでしょうか。実際はもっと複雑な事情が描かれています。

おばちゃん的感想

なんか、全体的に浅いな、と。

女装に関してIKKOさんや三輪さんくらいしか知らない人向けの入門書だと思えばいいのでしょうか。女装がテーマではありますがセクシャルマイノリティの話ではないと理解すればいいのかな。

幼少期の虐待をひきずって女装するパロウ。

亡くなった姉を溺愛する母のために女装するユイ。

性的に変化していく自分を直視できなくて女装する、まりか。

女装に逃げる前にやることあんだろ、と。

君たちの本当にやりたいことは女装じゃないよね?

とはいえ、そのあたりは作者様の意図通りのようで、巻を追うごとに3人は変化していきます。パロウは過去を克服し、ユイは母親と対決する。それに関してはわりと納得できるのですが、まりかに関しては全然納得できない。

性同一性障害と男性嫌悪

まりかは性同一性障害という描かれ方をしている。

うっかり男として生まれてしまったけど心は女だから女装しているほうが普通。みたいな。そして6巻でまりかはカミングアウトし晴れて女子生徒として学校に行くことになる。はじめは動揺していたクラスメイトもまりかを女性として受け入れてくれる。

だけど、まりかが女性になりたい理由として描写されるものが男性嫌悪しかないのだ。年々たくましくなっていく体や体毛、そして二次性徴。そういうものが汚くて醜くて、そんな汚い体を持つ自分は嫌だ、だから女性になりたい。まりかはパウロに憧れているんだけど、パウロを想像して自慰をしてしまって、「汚れてしまった私はもうお姫さまではない」と言うシーンがあります。

原作を読む限り、

男性嫌悪→だったら男をやめればいい→女になればOK。

という発想のみで性転換することを決意したように見えてしまいます。そりゃ、マンガに描かれていないところでいろいろ苦悩していたかもしれないし中学生の言語力では男性嫌悪しか表現できなかったのかもしれない。だけど少なくとも作品の中では、男性が嫌い→だったら女になろう、という逃げしか描写されていない。

まりかのクラスメイトも「まりかはキモくないからOK」という言い方で受け入れる。

作者の男性嫌悪と女性蔑視が見え隠れしている。

女の子だってオナニーくらいするし、体毛だって生えてるしセーラー服が似合わないくらいムキムキの子だって普通にいるよ?男がくさくて汚いというなら同じ人間である女だってくさくて汚い。女に勝手な幻想を押し付けて神格化するのは「吉永小百合の処女を守る会」と同じくらいキモい発想だ。

男は汚い。女になりさえすればキレイになれる。そんな幻想のために性転換なんていう取り返しのつかないことをしてしまって本当に大丈夫なのだろうか。

まりかが将来後悔しないか心配である。

 

これを一般的な女装だと思わないでほしい

ぼくらのへんたい」に描かれている男子中学生3人は、女装をしたいのではなく、女装を強いられているだけだ。だから各々の問題が解決されれば女装をする理由が無くなる。実際、後半ではパウロとユイは女装をやめている。彼らは特殊な事情があるだけで基本的にはストレートのマジョリティに属している。

なんだか、女装という大切なテーマをダシにしてバカにされた気分。

テレビでオカマタレントが嗤われているときの不快感にも似ている。

ぼくらのへんたい」を読んで何かを理解したような気になる人がいないことを祈る。