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おばちゃんのマンガレビュー 

おばちゃんがライフハックや日常を書きます

チカ作『これは恋のはなし』がロリコンかと思ったら、比較的ちゃんとした大人だった

マンガ紹介

 おばちゃんは身勝手なロリコン男は問答無用でイチゴジャムになるまで連打したい衝動にかられるため、チカ作の『これは恋のはなし』も敬遠していた。いくら作者が女性でジャンルが少女マンガでも、30過ぎたオッサンと小学生の女の子の恋愛モノなんて地雷に決まってると思ってた。

でもこれ、賛否両論あると思うけど、私的にはわりとアリかな、という結論です。

これはおそらく、ロリコンの身勝手な性欲ではなくて、恋愛ですらなくて、自覚的な共依存を描いた物語なのだろうと思う。家族も恋愛も全て共依存であり幸せな家族は関係性の病から目を逸らしているだけであるという前提に立てば、共依存に直面し目を逸らさず苦悩する彼らの関係性は救いにも感じられる。

 

「これは恋のはなし」がアリだと思った理由

1・オッサンがちゃんとわきまえてる。

「これは恋のはなし」をざっくりとくくってしまえば、小学校5年生の女の子・遥と三十路のオッサン・真一の恋愛話という犯罪モノになってしまうわけだが、彼らはお互いの間にあるのは恋愛ではなく同情だと自覚していて、服を脱ぐどころか手をつなぐことすらない。

男の脳は下半身にあるわけではない

青年マンガにありがちな、少女の色気にオッサンのオッサン自身がエレクト的な犯罪展開も無い。男の性欲は自分ではコントロールできない動物的な衝動だから身近にいる弱い女は犠牲になって当然、という昭和な幻想はこの物語には存在しない。

昭和マッチョな男性像を抱いている方は、そんな草食系のオッサンを男らしくなくリアルではないと言うかもしれない。そういう方にとってこの話は薄気味悪いロリコンモノだろうから、読むをのお勧めはしない。

でも私は、男はケダモノという幻想に男性自身もまた傷ついていると思っている。ケダモノではない関係、男もまた救済を願う存在としてみるとき、「これは恋のはなし」は恋ではなく一つの関係性の物語として立ち上がる。

2・周りの大人もちゃんとわきまえてる。

真一の古くからの友人・大垣と里美は一見無責任です。

↓このメガネが大垣。

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 小説家である主人公のオッサン・真一に「小学生の少女をモデルに見立てて恋愛小説を書け」とたきつける最低野郎。このページ読んだときは去勢してやろうかと思った。

この他、遥が真一のことを好きになるよう焚きつけたり、お前らほんとに事の重大性がわかってんのか!?犯罪だぞ!なにかあったら遥ちゃんがどれだけ傷つくと思ってるんだ!って、脳天に風穴をあけてやりたくなるシーンが満載。

でもこういう一見信じられないような無責任な態度は、真一への信頼があるから。

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正直、このシーンを好意的にとるか否定的にとるか、私の中でもかなり迷った。

両親を早くに亡くした真一は、そんな自分の姿を遥に重ねている。遥の面倒をみることで自分自身も同時に救おうとしていて、それを知っている友人は二人の関係を見守っている。

結局ロリコンじゃん。

そう、結局小さい子供に身勝手な幻想を押し付けて解消しようとするというロリコンの構造であることには変わりない。

だから、好意的なレビューを書いておいてなんだけど、性的なことによくない思い出がある人にとっては読むのがつらい作品だと思う。私もそういう人にこの作品を薦めようとは思わない。

 

いい大人が8歳のときに両親が死んだことなんか引きずって無関係の小学生を家に連れ込む。トラウマで同情を引くにしてもあまりにも犯罪だ。オッサンがやっていいことではない。

傷ついたオッサンの行く末

だけど、じゃあ、傷ついたままオッサンになってしまった人はどうすればいいのだろう。

女性であれば、子供を生むとか男に依存するとか、なにかしら発散方法がありそれらを通じて自分自身を見つめなおす機会もある。だけど、傷ついてしまったオッサンはあまりに放置されすぎている。

ロリコンに痴漢、近親相姦。男の性欲という昭和の幻想を傘に来てオッサンが我々にしてきた仕打ちは許されるものではない。私たちを傷つけてきたオッサンのほとんどは、自分たちがどれだけ他人を踏みにじってきたか気づいていすらいないかもしれない。

だけど、だからといって傷を自覚しているオッサンまで放置していいわけではないし、この少女がオッサンと家族ごっこをすることで幾許か救われるのであればそれはそれで一つ幸せな結末なのではないかと思う。