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マンガ『妖怪アパートの幽雅な日常』がクズすぎて怒りがこみ上げてきた話

今回はとても辛口レビューです。好きでない作品は見なければいいし、レビューなんてしなければいい。ですがこの話はあまりにひどいので書きます。

 

妖怪アパートの幽雅な日常』は高校生の稲葉夕士(いなば・ゆうし)が格安アパートを借りたら実は幽霊屋敷で、幽霊たちと交流していくという話です。主人公が個性豊かな幽霊や人間たちが起こすイベントに巻き込まれたり時には事件を解決したりしていきます。小説の漫画化です。原作小説では様々な事情で幽霊になった人のそれぞれの事情をおおらかに受け入れ共存してゆくというテーマだったように思います。原作は深山和香氏、マンガ化は香月日輪氏が担当しています。

それがマンガ化にあたり残酷で幼稚な正義感に塗りつぶされてしまったことをとても残念に思います。

 

妖怪アパートの幽雅な日常 1巻

妖怪アパートの幽雅な日常 1巻

 

虐待する親は鬼畜である、ということ

妖怪アパートの幽雅な日常』では毎回いろいろな幽霊が出てきます。その中の一人、子供の幽霊であるクリは生前母親に虐待され死に至りました。死んでからもクリには母親の妄執が絡み付いていて、それを解かない限り成仏できません。クリは悲劇的な過去を持った子供ですが本人は幽霊アパートで皆にかわいがられながらそれなりに楽しく暮らしています。

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ですが、クリの母親の幽霊はクリへの執着を捨てきれず、クリを取り戻そうとアパートに襲ってきます。アパートの住民達はただアパートに結界をはりクリを守ることしかできません。悪霊となってしまったクリの母親を救うことはできないからです。

 

アパートの住民は結界に阻まれ焼かれ苦痛にうめきながらもクリを探し続ける母親の姿を眺めながら、酒盛りを始めます。

 

苦しんでいる人を嘲笑う、ということ

子を求める母親の怨念を見ながら酒盛りをする、そのこと自体は表現として深いものであると思うのです。

まだ生きている人間であれば福祉の手を伸ばすことも出来ます。虐待するほど追い詰められてしまったとしても、周囲の手助けによって状況が変わればもう一度再出発できるかもしれない。でもクリの母親は幽霊になってしまっていて、もうやり直すことはできない。全知全能の神様でもなければ彼女を救うことはできない。そんなどうしようもない状況を前に我々人間は自分の無力さを痛感します。

そこで亡霊を憐れむのでもなく己の無力さと世界の残酷さをただ笑い飛ばす、それは無力な人間が世界に対する唯一の抵抗でしょう。

 

小説版ではそういったやるせなさをとても上手く表現していたと思います。

ですが、マンガ版では細かな情緒が省略され偽善が前面に押し出されてあたかもそれが正義であるかのように扱われています。

 

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あてもなくあがき苦しむがお前の罰、神にでもなったつもりでしょうか。

自分が子供を守れなかった罪悪感を他者に転嫁しているだけ。おまえだけが救われるのは許せない、という心理を自覚してすらいない。

 

まるで虐待する親は生まれつき悪人だとでもいいたげな数々の表現。

自分は絶対に虐待しない善人であるという傲慢さ。

 

子供を愛していなければ道端に捨てて終わりです。

虐待は愛が極限まで捩れてしまった末に起こります。愛しているからこそ執着するのです。未熟で身勝手で残酷な形であっても、そこにかつて愛が確かにあったからこそ死んで身を焼かれてまで子供に執着するのです。

虐待の悲劇は、親が悪人だったことではありません。

親が善良で、だけどその善良さを発揮できる環境が整わなかったことが悲劇です。亡霊になってしまった彼女を救うのは断罪ではなく、子供を殴らなければいけないほど追い詰められる極限状態を変える手助けです。

 

 

 

 

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オレは絶対許さない、ていったい何様のつもりでしょうかね。

自分は絶対に子供を虐待しない成人君主気取りでしょうか。

 

人は状況さえ整えば誰でも必ず悪人になります。

極限まで飢えても絶対に他人の食べ物を奪わないと誓える人はいるでしょうか?

自分は絶対に悪人にならないなどと無邪気に信じている人はただこれまでの人生が恵まれていただけです。そして悪人になることを恐れるからこそ、悪人を断罪したがります。ですがどれだけ断罪しても犯罪は無くなりません。犯罪を犯さざるを得ない極限状態を変えなければ人はいつだって犯罪者になります。

 

主人公たちはまるでよいことをしたかのように自分に酔いながら他人を追い詰め踏みにじりそれを嘲笑っている。自分が善であるという思い込みの下行われる暴力ほど恐ろしいものはありません。

きっと自分が踏みにじってきた人の置かれた境遇や、自分が悪の側に落ちることなど考えもしないのでしょうね。

なんて幸せな人達でしょうか。

その幼稚な正義の下でどれほどの人達が犠牲にしてきたのでしょうか。

 

 

 

小さい頃に両親をなくした主人公や、自分の子供を死なせてしまった犬神が、自分の不幸を他人に転嫁してしまうのはそれはそれで仕方がないです。自分の傷を直視するのはとてもつらいことで、大きな傷を得て間もない彼らがそれができなくても不思議ではない。

ですが、幽霊アパートには多種多様な人生経験を積んだ幽霊や人間が沢山いて、中には普通では考えられないようなことを経験した幽霊たちもいます。そんな場所でなぜこんな偽善を何のフォローもなしに放置しているのでしょうか。

 

表現は自由である

 

何度も言いますが、虐待は過酷な環境が引き起こします。過酷な環境下であれば誰だって虐待に走ります。虐待をした親は罪をつぐなうべきですが、それと同時に救済されなければ何も変わりません。

 

表現は自由です。このような有害な思想を描くことも消費することも自由です。ですがそれを現実に持ちこんではいけません。ファンタジーと現実は区別する必要があります。ですので、これがレーティング表記のされた作品であれば私は文句を言いません。不快ではありますが、それは私が見なければ済むからです。

 

このような話がまるでハートフルストーリーのような扱いで流通してしまうことで「虐待する母親は断罪していい」というのが常識になってしまうことを私は危惧しています。